昭和45年6月29日  夜の御理解     (末永信太郎)   №45-熊04


 もう本年も半年を終わらせて頂きました。半年の6月30日。普通で言えば、昔、大払式と言うておった。それを、ここでは、まあ、祈願祭。いわゆる、大祈願祭と名をうってのお祭りでございますね。けれども、これはどこまでも、人間が神様にお願いして幸せになりたい。大難は小難、小難は無難でおかげを頂きたい。まあ、そういうことを、まあ、願う祈願のお祭りですけれども。
 お道の信心をだんだんさせて頂いて、本当に日々が有り難い、日々が勿体無いという信心生活させて頂いておる者。一年を締めくくって、ちょうど半分終わらせて頂いた。思うてみると、もう、月々広大な、いや、日々、このようなおかげを頂いて来ておるという、言うなら感謝の心。その、感謝祭と言うた方が、本当は本当じゃないかと思うんですけれどもね。
 けれども、やはり、信心の程度の低い人、分からない人にでも祈願祭と言うたら、やはり、一つの魅力ですから、まあ、そういうことになっておりますけれども。そこに、信心を日頃けいこさせて頂いておる者、わからせて頂いておる者。もう、本当に半年の、いわゆる謝恩のお祭り。その、感謝のお祭りであり、その感謝の心を持って、私は祈願祭。いわゆる、祈願をさせて頂くという、喜びの心を持って、お礼を申し上げるとこはお礼を申し上げて、お願いをして行く。
 それは、今、熊谷さんが仰っておられますように、いつも大払式の時には、近所に自分の知り合いのところの限りの、車を持っておられる人やら、まあ、知っておられる家庭に、あの、祓つ物を配られて。それを、みんな集めては、祈願をなさっておられる。いつも、これはどげんかせんならんとじゃろうかと、例えば、それをもらいに行くと言われるような人達が、今年はみんなですね、おかげで一家中が息災であったとか。まあ、おかげで車に事故一つもなくてから、おばしゃま、おかげを頂いて有り難いとかと言うて、まあ、それぞれに、その自分では思いもつかないほどに、例えば、金銭を託けられてですね、まあ、よろしゅうお願いします、よろしくお礼を申し上げて下さいと言うて、まあ、皆が言われたと、こう言われるが。
 本当に熊谷さんの、言うなら神恩感謝の現われが、そのようなことになって、信心のない方達のそういうことが願われる。そういうお祭りが、いわば、明日のお祭り、私どものお祭りだと思うんですよね。うん。ですから、そういう思いを込めた、いわゆる神恩報謝のその心を神様へ申し上げると同じに、まだ、信心のない人達がたまたまおかげを頂いて。
 また、信心の薄い人達が、ただ祈願だけのことのために参って来る人達のためにも成り代わって、いわゆる、喜びの心、感謝の心を持って、いわゆる祈願させてもらうというお祭りでありたい。そんなことを、まあ、今晩の御祈念に私思わせて頂いて。改めて、半年のお礼を今晩、また申させて頂いたんですけれどもね。そういう、この、こういう、その有り難い喜びを持って、明日のお祭りを奉仕させて頂きたいと思うております。どうぞ。